【覇道】

 

<Act.1 『初めての学園』  第1話 『再会は突然と涙』>

 

 

 

 

 

「…………」

 

俺は沈黙のまま廊下を歩くしかなかった

生徒達は既に待機状態なのか、廊下を見渡しても人影の一つもない

ただし、教室の方には多数の気配がいくつも存在しているが

既に教師が到着しているクラスでは点呼? のようなものが行われているようで、静かなものである

だが、逆に教師が到着していないクラスの前を通れば……

 

「んなっ!?」

「お、おいっ。アレ見てみろ、アレ」

「きゃー! 綺麗ーー!」

 

壁やドア越しに伝わってくる声が俺の心を苦しませる

別に普通の恰好をしていれば言われても気にならない

それこそ今更というもの

けれど、今の恰好は俺にとっての“普通”を大きく超えていた

そう、ありないほどに

 

「……なぁ、先生。本当ぅぅぅーーーーーっっに、男子の制服はないのか?」

「ぁ? あったら校長が出すだろ」

 

顔が微妙に赤味を孕んでいるだろうことが自分でもわかった

一目に晒されるだけで羞恥心が顔を焦がすのだ

この学校は何を考えているのか、俺の制服を男子のものではなく女子のものを用意してしまったらしい

性別の欄にはきっちりと“男”と書き込んだし、校長である佐伯さん――佐伯校長にも面会したから男だとわかっているはずだ

なのに業者は間違えて女性物を送ってきた、と佐伯校長は言い張った

いや、言い張ったというか……そういう理由だった、と言うべきか

俺の女生徒姿を見て喜び、楽しんでいた様子を見れば明らかに確信犯だったとしか思えない

そういう意味合いを含めた質問だったのか、俺の担任になるらしい石橋教諭は適当に受け流してしまった

 

「安心しろ。男子の制服よりそっちの方が違和感ないぞ」

「……褒め言葉と、慰めの台詞として受け取っておきます」

 

前を歩く大きな背中をした石橋教諭より言葉が飛ぶ

まぁ、気遣っているというより自分の思ったことをそのまま発言している感じだ

言葉によそよそしさや、堅さ、そして責任感は微塵も感じられない

口より飛ばされた言葉はそのまんま、って感じだった

少なくとも今日はこの恰好のままになるわけだし、いい加減覚悟を決めるしかないだろう

私服のままという提案は佐伯校長の職権乱用染みた発言で不許可となったし

 

「? どうしたんですか?」

 

心構えも形になってきたところで不意に目の前を歩く大きな背中が立ち止まる

後ろを歩く俺もそれにつられて足を止めるわけだが、背中が踵を返すと無精髭のおっさんの顔が俺を捉えた

この人こそカノン学園二年A組の担任をしている石橋いしばし 真吾しんご教諭

スーツを着ていてもわかるゴツイ体格に、修羅場を潜ったのであろう深みのある顔付き

余程の手練と一目でわかったが、なぜか気だるそうな顔をしてまるで呆けているかのような抜けっぷりだ

頼りがいがあるのかないのかイマイチ判断できていない

けれど、悪い印象はない

出会って間もないが、嫌悪を抱くタイプの人間ではなかったのが幸いだった

 

「もうすぐ教室に着くが、挨拶の準備は出来たか?」

「準備って……まさか、佐伯校長の言っていたアレ、ですか?」

 

挨拶に何の準備がいるというのだろう?

俺のその疑問は記憶を遡ることで解決してしまう

校長は言っていた

転校生――正確に言えば俺は編入なんだが――は挨拶が肝心

クラスの生徒達の心を初対面で掴んでこそ、その後の扱いが決まるとさえ言う

半分冗談だろうという気持ちで聞いていたのだが、どうやらマジだった…っていうのか?

 

「あぁ。他に何かあるか?」

「いえ、ありませんけど……何をすればいいんですか?」

「ぁん? ぁー……おまえの得意技とか、特技とかを一発芸の要領で見せてやりゃいいんじゃないか?」

「得意技…特技……」

 

俺の特技と言えばやはり……女装か

潜入調査や自らを偽る時には大体女装で行動しているし

幼い頃、両親に女と育てられたせいでスカートとかにもそれほど違和感を覚えるわけじゃない

……まぁ、ここの制服のスカートは短過ぎるとは思うが

とはいえ素材がいいのか、寒いことは寒いが極端に冷えるわけでもない

 

「……やるしか、ないか」

 

本当に転校生として何かをしなければならないのなら、それしかない

そもそも狙ったかのように女装させられているわけだし

俺の表情を見て準備が出来たことを悟ったのか、石橋教諭は無言のまま頷くと再び前に歩き出す

俺は石橋教諭に聞こえないように小さく咳払いし、喉の調子を整えた

 

「いいか? 入るぞ」

 

ガラッ

 

開かれたドアの向こうから喧騒がこぼれてくる

けれど、ドアの開いた音と石橋教諭の姿を見て声はすぐに沈静化された

慌てて自分の席に座りにつく生徒もいるが、石橋教諭は気にも留めずに中へと進む

……小さいことは気にしない人なのだろう、うん

覚悟を決めたはずなのに二の足を踏む自分を情けなく思い、心の中で一喝

少し遅れながらも石橋教諭の後へと俺は続いた

 

「おぉっ!」

「うわぁ……」

「……すげぇ」

「綺麗……」

 

石橋教諭のおかげか、大きな声で叫ぶ生徒はいない

けれど口から漏れた小さな声

そして俺に釘付けと感じさせるほどの多くの視線が俺に集まっている

とてもじゃないが直視する気にはならない

視線を石橋教諭の前にある机に落としつつ、俺は石橋教諭の隣に並んだ

 

「おはようさん。見てわかると思うが、今日からこのクラスに新しい仲間が増える。所謂、てんこ――編入生だ」

 

先程の喧騒が嘘のような静かさは、まるで固唾を飲んでいるかのようだった

俺に刺さる視線、視線っ。視線!!

とにかくこの短いスカートが気になって仕方なくなり、思わず裾を掴んで下に少し引っ張った

すると余計にスカートの裾に視線が集まった気がする

……俺の気にしすぎだろうか?

 

「ほら、相沢。簡単に挨拶しろ」

 

軽くふられた話に俺は一度生唾を飲み込む

覚悟は決まっている

話す台詞も頭の中にもうできている

あぁ、迷うことはない

先のことは考えるな

挨拶だ

一発、挨拶をブチかませばいいだけ

今まで潜った修羅場を思い出せばこの程度――なんてことはない!

 

「はい。今日からこのクラスの一員となります、相沢です。皆さん、よろしくお願いします」

「おおぉぉぉぉっっ!!」

 

声を女声に変え、言い終わると同時ににっこりとした営業スマイルを見せて一礼

その反応は――考えるまでもなく好評だったと言えよう

今までの静かさが嘘のように口々から声がこぼれた

うるさい奴では立ち上がって叫ぶ男子生徒がいるぐらいだ

指笛も鳴らす奴もいるし、まさしく歓声と言ったところ

女子の反応も上々のようで、微笑むような笑みを見せてくれている

唯一除外するならば隣にいる石橋教諭ぐらいか

俺の女声を聞いた時に驚いてこっちを向いたが、俺の様子から察しがついたのだろう

イスに座り直して興味のないような顔で俺を見ている

 

「はいはーい! 相沢ちゃん!」

「あ、はい。なんでしょうか?」

「名前! 下の名前言い忘れてるよー」

「あれ? 言いませんでしたっけ?」

「言ってはいなかったな、相沢」

 

立ち上がり、俺のミスをようやく指摘した男子生徒の顔は笑顔に満ちていた

まぁ、綺麗や爽やかとは言い難いやや下心のある笑顔、というところ

それでも腐った大人とは全然違う幼いというか、若さのある笑顔であるところが許せる範囲だ

にしても、こいつにはそれなりに感謝、だな

このツッコミがなければとんでもないことになってるわけだし……

とはいえ、そういう事態になっても俺のやることを察している石橋教諭がつっこんでくれたと思うけど

 

「では、改めまして……俺の名前は相沢 祐一。特技は女装」

 

小さく咳払いをして喉の調子を整える

直後、俺の言い放った言葉――否、声に教室の中は凍りつく

声は素声の男のもの――とはいえ、それでもやや高いが――に戻しての自己紹介

笑顔に満ちていた教室は吹き抜ける吹雪の風によって凍結してしまったかのようだった

固まった表情

思わず、人間とは驚くとこのような顔や状態になるのだと冷静に観察してしまう

 

「あくまで特技であって、趣味ではないので勘違いしないように。あと、女物の制服を着ているのは学校側の手違いで制服がこれしかなかったから」

 

先に質問されそうなことは言っておく

動きや思考は止まっていても、言葉が聞こえていないわけじゃない

頭の中に記録して残される程度の状態ではあるだろうし、言っておけば同じことは訊かないだろう

それにこういう状態の方が頭の奥底に言葉を刷り込めるから便利でもあるし

まさしく硬直状態のクラスの中、俺はどこかすっきりとした心持になっていた

なんていうか、言ってしまえばあれこれ悩んでいたことが馬鹿らしくなる、っていうかさ

なんつーかこう…スッキリした、とでも言えばいいのだろうか

 

――ガタンッ

 

静寂に包まれた教室に、不意に一つの物音が鳴った

なんとはなしに俺は音の出所へと視線を向けると、窓際の後ろ側の席にて一人の女生徒が立ち上がっている

音は立ち上がる際に倒したイスのものだろう

こちらを呆然とした眼差しで見つめる女生徒

その姿を見ると僅かな頭痛――と同時に、違和感のようなものを感じる

いや、違和感じゃない

そうではないが、なんだろう……どこかで見覚えでもあるような……

 

「……ゆう、いち……」

「え?」

 

途切れるように、そして消えそうな小さな声で俺の名前を呼ぶ少女

自己紹介したばかりで名前で呼ぶとはかなり友好的な――なんて冗談を言える余裕はなかった

少女の呆然とした無色の顔に、突如色がつき始める

溢れんばかりの感情は涙という雫なって少女の頬を伝い、流れ落ちた

女の涙

俺の数少ない弱点の一つに挙げられるそれはほぼ最強の攻撃方法だった

 

「ゆういち…ゆういち……ゆう、いち……ゆ――祐一っ!!」

「うわぁっ!?」

 

呆然、そして涙を零しながら少女は俺の名を呟きつつ俺に歩み寄る

それこそ時が止まっている中を彼女だけが動いているかのような錯覚

クラス中の視線が突き刺さる中でも、まるで少女は夢遊病のようにふらつく足取りで俺に近づいてきた

そのあまりにゆらりとした滑らかな動きのせいだろうか

彼女が俺の間合いに入り尚、俺が動けなかったのは

――いや、違うな

あのどう受け止めればいいのかわからないほどに溢れ出している感情

その純真なる想いを感じたからこそ、俺は身動きがとれなかった

だからこそ、突如抱きつかれるなんてことになってしまったわけだが

 

「生きてた…生きてたんだね、ゆういち……ずっと、ずっと逢いたかったよぅ……」

「え、えーっと……」

 

俺に抱きつき、胸に顔を埋める少女

凄く真摯で、それでいて必死な言葉に俺は返事を返すことができない

というか、この少女が誰なのかすらわかっていないのだから

だが、生きてた、という言葉からするに少しは――いや、用心しておかねばならない

俺の過去を知っている時点で、今の仲間以外にろくな奴はいないからな

横目で石橋教諭を見てみたが、先生も驚いている様子で俺を見ていた

俺の視線に気づくと無言のまま頷くだけ

どうやら手助けするつもりは微塵もないらしい

いまだに俺の胸で泣いている少女を見下ろして内心溜め息

俺がやるしかないってことか……

俺は少女の肩を掴んで、俯いている顔をあげさせる

 

「えぐっ…ひくっ……ゆーいちー」

「――あ」

 

少女の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた

けれど、それはどこかで見たことのあるもの

記憶の奥に忘れ去られていたものが鮮明に浮かび上がる

あれは昔――そう、魔天使など関係なく、まだ両親と旅をしていた頃に――――

 

――『また逢いにきてね。ぜったいに……ぜったいにだよ? やくそく…やくそくだからねっ』――

 

別れ際に見せてくれたその顔は、笑顔を見せようと努力をしていても泣き顔にしかならなかった少女

世界に絶望を感じながらも、両親のおかげでまだ心を保っていたあの頃

もっと深き絶望を知る前に、俺を癒してくれたあの道場

あぁ、忘れていた……忘れなければいけなかった

忘れていなければいけなかった……あの家族は、幸せのままであって欲しかったから

でも、その願いは儚く散った……今、この瞬間に……

 

「……名雪、か?」

「! うんっ! う゛んっっ……覚えてて、くれたんだ……」

「約束、してたからな」

 

約束という名の運命か、呪縛か、宿命か

名雪も忘れてしまえばよかったはずの出来事を、覚えていた

そしてここまで涙するほどのことだという

嬉しいと思ってしまうのは……いけないことだろうか?

名雪は涙をこぼしながらも元気に頷き、笑みを見せた

そして再び俺の胸に顔を埋めてしまう

あーあーあー……さすがにそろそろ、視線がキツイ……

 

「あの、石橋教諭。事情は後程説明しますから、今は名雪と二人で話をさせてもらってもいいですか?」

「ぁ? あ、あぁ…そうだな。水瀬も顔を一度洗ってきた方がいいだろうし、構わんぞ」

「ありがとうございます」

 

あまりにも突然の事態で戸惑っているのはこの場にいる全員だろう

生徒達はわけがわからず

俺と名雪は突然の再会に驚きに溢れてるし

だがこのままここにいてはただの見世物であり、晒し者

さすがにそれは勘弁してもらいたかったので、石橋教諭の判断はありがたかった

いまだに涙の止まらぬ名雪の肩を抱いて教室を出ようとドアを開けて――

 

「ただし、授業には遅れるな。時間は十五分与える。それまでに戻って来い」

 

結局、気遣いはしてくれるが世話は焼いてくれないらしい

感動に水を差すような言葉ではあるが、まぁ正論はあちらなので言い返す言葉はなし

俺は教室を出る間際、小さな返事を一つ返すのが精一杯だった

 

「……はい」

 

 

 

 

 

 

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