【覇道】
<Act.0 『純白の国へようこそ』 第8話 『予想違いの偶然』>
「話によればこのあたり、のはずなんだけど……」
雪は降っていないがあいにくの曇り空
淡い月の明かりは雲に阻まれ大地を包むことはない
森と呼ぶには小さい木々の群生地
明かりのない夜にくれば暗いのは当たり前というもの
しかし、大きな街道が通っているために道周りに関しては見晴らしはいい
「んー。レン、何か感じたりするか?」
「…………」
俺の肩に乗っているレンは静かに首を横に振った
つまり、周囲には特異な気配の持ち主はいない、ということ
レンに訊くまでもなく、俺も何も感じることはできなかったしな……
「もう少し奥までいってみるか」
ギルドにて事件の状況や情報などは教えてもらった
その情報によれば事件の現場この森の中を通る街道でのこと
キー王国の首都エアより武具に使う鉱石を積んだ馬車二台が襲われたという
荷物に関しては盗まれた形跡はなかったのだが、生存者はゼロ
つまり、人殺しを目的とした殺人事件というわけだ
目撃情報が手に入ったのは二週間前に起きた初犯でのことだったらしい
村にある民家にいきなり現れ、住民を皆殺し
逃亡する際に村民に姿を目撃され、手配書のイラストとなる
「相手は鬼、か……」
夜の街道を一人進む中、思わずその事実を言葉を反芻して噛み締める
鬼族というのは本当に強い種族だ
俺一人の手で負える程度の鬼なのかどうか、目撃情報だけではサッパリわからない
肌が赤色、額に一本の角、屈強な体
それ以外にはわかっていないのだから相手の力量を測るに測れないというもの
まぁ、人喰いに堕ちたのならば下級の鬼だとは思うが……
「ん? もしかして、ここだったの…か?」
しばらく歩くと緩やかなコーナーがあり、その途中の幹が圧し折れている
幹の近くへと歩み寄れば幹だけではなく、草が潰れていたり木屑が落ちていたり
つまり、ここで馬車を含む商隊が襲われた、と判断して間違い無さそうだ
少し茂みをわけて奥まで様子を探る
暗いとはいえ足下に気を配り、目を凝らしてよーく見て回るが……特に何も見つからなかった
「この街の警備隊は優秀そうだし、取りこぼしはない…か」
いつもは動物の勘か、女の勘かで何かを見つけるレンであるが俺の肩から降りる気配はない
つまりいつものラッキーも今回は無し、ってことか
少しばかり気落ちして肩を落とすが、まぁ何かを得る方が難しいと思っていただけに落胆の色は薄い
ま、今夜はもともと長くするつもりもなかったし、そろそろ引き上げ時かもしれないな
癖で空を見上げるが、そこには厚雲があるだけで月は見えない
凡その時間を計ろうにも計れない、か
まだそれ程宵が深まってきたわけでもないが、俺は明日何かと忙しい
まずは転校による手続きとクラスへの顔出し
その後、寮を希望したために宿屋から寮へと荷物を運ばなければいけない
「…………む」
引き返そうかと踵を返そうかとした時、僅かだが金属音が聞こえた
空耳や聞き間違いじゃない
これだけ静かな夜の街道で俺が小さいとはいえ音を勘違いするなんてことはないはずだ
夜での戦闘は俺が最も多く経験してきたもの
故に勘違いではなく確信が俺の心を締め付ける
「奥かっ!」
二度目の音が聞こえれば俺の足は既に駆け出していた
特に音をたてるわけでもなく、心の色を外には出さないように夜の街道を走る
緩く左右に振られるコーナーを幾つか越えたその先、森の終わりが見えた
――否。終わりではなく境目
向こう側にも森は見えるが、こちらの森との間には川原を含む一本の川が森を縦断していた
流れはそこそこ
深さは膝よりやや下というところだろう
「…………一…二……三……」
茂みに身を潜め、川の上を通る一本の橋を見つめる
――正確には橋の前で動く人影だが
動く影の数は三つ
ゆっくりと、だが見逃すことなく目で追い続ければすぐに闇に慣れた目が相手の姿を暴いた
表には出さないが、その顔触れを見て幾つもの驚きが心中を渦巻く
まず木槌を手にしている茶髪の少年
こいつは昨日のテストの際、白狼の一人と対峙していたカノン学園の生徒だ
さすがにこの時間で制服は着ていないが、あの着崩した服の具合は同じだった
「おい! 話が違うぞ折原!」
茶髪の少年――折原に声を飛ばすのは白いローブを纏った少年
こちらは白狼のチビを助けた時に御節介をしてくれた内の一人だ
灰色の髪に何よりあの白いローブはよく覚えている
手に淡く光る石――おそらく、魔力の向上を促す魔石だろうが――が挟まれており、魔導士らしい戦闘体勢をとっていた
「おっかしーな。手配書は確かに200万って書いて――」
「ばっ! 前見ろ!! 来るぞ!」
ズボンのポケットに手を突っ込み、木槌を地につけた折原
それは明らかな隙であり、相手にとっての好機
その好機を逃すようなアホじゃなかったらしい
折原に向かい迫るのは白い浴衣を纏った刀使い
手に握られた弧を描く銀光の刃に描かれた波紋は紛れもなく刀を示す
深い笠を被り、奴が手配書にあった“白き辻斬り”なのだと理解する
ただ、疑問が一つ
なぜ奴は宙に浮いているんだ?
「なーんて――なっ!!」
少しあった間合いを浮いたまま、まるで瞬発したかのような速度で間合いを詰めた辻斬り
笠のせいで表情が読めず、動きを先読みし難いはずなのに折原はそれを読んでいた
踏み込む足はないけれど、奇妙な体のこなしで刃を横薙ぎに一閃
けれど振るう前に振り上げられていた折原の木槌がその刃を下から叩き上げる
即座の対応から見て隙は辻斬りを誘き寄せる餌だった、と見るべき
そしてそれ以上に驚くべきなのは木槌を蹴り上げて足りない速さを埋めた感性だろう
あいつ、戦い慣れているか……もしくは、闘いの
「おらよぉっ!!」
刃の腹を下から叩き上げたことにより、辻斬りは柄を離さずとも右腕を上へと泳がされた
そして空くのは胸や腹を含む胴
振り上げた勢いを刃にぶつけることで殺した木槌はちょうど辻斬りの胸の高さ
折原は木槌の柄を両手で持ち直すと、細身の体で木槌を突き出す
T字型の木槌のために刃などはつけられていないが、打ち込むだけで威力は相当のものだ
なにしろ、体勢が崩されているのだから
――ドォッッ!!
音からして手応えは十分であり、見る限りでは辻斬りは不恰好の態勢で後ろへと吹っ飛んだ
打ち転がるように地面を滑り、橋の手前まで滑ったところでようやく動きが止まった
地面の上に倒れるように寝転がったまま動かない辻斬り
今ので倒せたとは思えないが、動かないのも確か
見れば頑なに握っていた刀の柄が手から零れ落ちている
それが判断材料の決定を導き出した
「…倒した、のか?」
「――追撃だ斉藤!」
折原の叫び声と同時に辻斬りは動き出す
瞬時にして零れ落ちていた刀の柄を掴み、手も足もつかわずに体がふわりと浮くように起き上がった
吹き飛び、転がり、そして起き上がったにも関わらず奴の笠はとれない
余程強く顎紐を結んでいるのだろうか……
そう思ったのは一呼吸の間
その一呼吸が終わると、辻斬りは膝丈ほどに身を浮かせたまま折原達に向かい宙を突き進む
――速い――
地を蹴るわけでも、宙を蹴るわけでもない
足は踏み込みを真似る際に一歩を宙の上に踏み出しただけ
まるで幽霊なのではないか、とさえ思える人間らしからぬ動き
飄々というよりも揺らめくように安定感がないくせに、攻撃を振るう際には力強い動きに豹変する
その奇妙で不釣合いな組み合わせが奴の奇特さを際立たせているのだろう
ギッッ!!
片手で薙がれる一撃を木槌の長い柄で受け止める
並みの棒なら真っ二つだったんだろうが、それなりにいい代物を使っているらしい
けれど、斬られるかどうかは紙一重だった様子
受け止めた自分自身である折原の顔も、柄に僅かに食い込む刃を見て驚きに顔が強張っていた
冷や汗さえ浮かんでいそうな不安顔
それは確実に折原の動きを止めていた
「――避けろっ!」
叫び声
それは折原の後方に待機していたローブの男の声だ
折原は後ろを振り向く暇もないことを悟っているのか、木槌を手放し横手へと頭から跳ぶ
ほぼ叫び声と同時に辻斬りの上半身が捻るように唸った
腕が撓り、受け止められた刃は一度退いたかと思えば、白蛇の軌跡を描くように唸る
そこへ揺らめく小さな灯りが飛び込むように迷い込む
それは小さな炎を纏った――魔石
「――“
ローブ男の詞に反応し、魔石に灯った炎は瞬時にして閃光と閃熱を辺りに撒き散らす
眩い閃光に吹き抜けるのは熱風
爆発の音は森に低く木霊し、闇夜に満ちた世界が刹那の時だけ反転した
目を細め、閃光をやり過ごす
爆発の余韻なのか、煙に巻かれた一帯の状況は確認できない
そんな中、距離を置こうとしているのかローブ男と折原は俺の近く――森の手前にまで下がってきた
「今度こそやった……か?」
息を呑み、煙の晴れる先を睨みつける二人
固唾を飲んで見守る様はまさに祈るかのように見える
もう奴が出てこないように、と
煙の晴れた先には焼け焦げた痕のある大地と、僅かに欠けた地面があるだけ
他には何もなくなっていた
「跡形もなしって、斉藤…おまえどうやって賞金もらうつもりなんだよっ!?」
「はぁっ!? おまえ、命からがらって時に金の心配するなよっ!」
突然の叫び声は不満の言葉だった
さすがに俺もローブ男の意見に賛成だと思う
命あっての金だし、その判断は間違えていない
まぁ、折原の方も本気で文句を言ってる雰囲気ではなさそうだ
それがどことなくわかっているからこそ、ローブ男の返答もどこか甘い
けれど、本当に甘いのは二人共
あの場に“何も”残っていないことは酷く――不自然だというのに
「レン。おまえはここで待機しろ」
「…………」
二人に気づかれぬように囁くような声でレンに語りかける
レンはコクリと頷くと音もたてずに地面の上に飛び降りた
言わずともレンは自分の役目は理解しているだろう
俺はマントの内側にある片手棒状になっている夢幻を掴み、目を閉じて一呼吸する
それだけで思考は雑念を投げ捨て、戦闘に赴く準備を終わらせた
「二人とも左右に跳んで!」
「へ?」
「あ?」
突然の声に二人とも間の抜けた声を漏らす
女声で呼びかけているとはいえ、鈍い反応
けれどそれは予想の範囲内だ
学生ってことは実戦にはそれ程慣れていないと思っていた
俺の言葉通りに即座に動けるとは思っていない
なにせ――頭上から迫る辻斬りに気づいていないくらいだから
ギィィァッ!!
二人の間に半ば割り込むように押し入り、そのまま宙に向かって跳ぶ
頭から落ちて来る辻斬りは三日月を描くように刃を振り下ろす
そのタイミングに合わせて片手棒を瞬時に片手剣に変換し、俺も刃を薙ぐ
ぶつかるのは一瞬
弾くようにして打ち合った一撃で互いに刃を引き、俺は地面に落下
辻斬りは弾いた勢いで上半身が跳ねるように起き上がるが、そのまま何事もなかったように距離を置いて着地
まぁ、着地とはいっても膝丈以上の高さは保っているのだが
「確かおまえ、昨日の魔物迎げ――」
「おぉ! 愛しのハニーじゃないか!」
辻斬りと正面から対峙した緊迫感を壊すのは後ろにいた二人
さすがに折原は覚えはあるようだが、その言葉をナンパ野郎が吹き飛ばす
それこそふざけた言葉つきで
やはり一日間を空けたぐらいじゃ忘れていなかったか……
そう思ったからこそ女声で乱入したわけだが
「どうです? この宵深き漆黒の夜の中、僕と二人で酒を酌み交わすというの――」
「お断りよ。邪魔だからどこかいっててくれる?」
誘いの言葉も半ばに振り返ることすらなく切り捨てる
この手の輩はしつこいとよく言われるが、こいつはそれに輪をかけてしつこそうだ
意識を背後には向けないように気を配りつつ、正面の相手の挙動を見据える
俺の突然の乱入、一撃を返した先程の攻防
それらの中で確実に驚くべきことがあったはずなのに、それでもこいつは揺るがない
そう、それこそただの命令を聞いているだけの機械人形のように……
「どいてもいいが、そいつ…かなり強いぞ」
「そうだよ。僕らも手を貸すよ、マイハニー」
先程とは打って変わった丁寧に口調に寒気がしそうだった
どうしてここまで女一つで色々と変わってしまうのだろう
奇妙で不気味でおかしいとしか言いようがない
とりあえずこれ以上後ろの二人に構っている暇はなさそうだ
そろそろ辻斬りが――動く
「手を貸せるものなら貸してみなさい!」
戻る?