【覇道】
<Act.0 『純白の国へようこそ』 第1話 『時間を潰せ』>
「やっときた」
思わず手元にある封筒を見下ろして言葉が漏れた
この封筒が届くのを待つこと三日間
その間にカノン学園に対する不満や愚痴をこぼしたのは一桁程度ではない
ぶっちゃけた話、滞在費ぐらいは出してもらいたいものだと切に思った
「えっと……ふむふむ」
封筒の中に入っていたのは数枚の書類
朝一の寝惚け頭を起こしながらテーブルのイスへと腰掛ける
昔は邪魔だとしか思えなかった自分の長い白髪も、今では無意識化で扱いきれるようになっていた
背凭れの向こう側へと白髪のカーテンを流し、書類を読む目を進める
「入学テスト、か。まぁ、何とかテストまでこぎつけれたことに満足しておくべきかね」
キー王国随一の学園――いや、世界規模で知れ渡る世界でも指折りの学園
そこにほぼ書類審査のみで入学テストまでこぎつけることができたのは僥倖だと思うべきだろう
特に俺は出身国、今に至るまでの経緯などかなりあやふや――もしくは嘘を綴ってある
怪しまれたかもしれないが、俺には最大の武器があった
それはとある魔導士の推薦状
業界では誰もが知り、また無視はできない巨匠のお墨付きにして、軽い命令形の推薦状
さすがにそれがある限りは適当には対処できなかった、と見ておくべきだろうな
「テスト内容はその時に、か」
書類に書かれていることは挨拶的ものを除けば実に端的だったと言える
『今日の午後4時に学園に来られたし。入学テストを行う』
とだけ書いてあるようなもの
果たしては俺はあちらさんにはどういう人物として見られているのか
少なくとも正体がバレている…ってことだけはないはず
そのためにわざわざこの雪さえ降る北方の学園を選んだのだから
部屋に備え付けられている窓のカーテンを開けると、雪が静かにゆっくりと降り注いでいた
どうやら今日の天気は雪、ということらしい
「ん?」
不意に足下に何かが張り付いた
怪訝に思って見下ろしてみれば、そこには毛並みのいい黒猫が一匹
黒猫は俺の視線に気づくと足に頬擦りするのをやめて、俺の顔を見上げる
交わる視線と視線
それだけで猫――レンとは意思疎通が可能だった
「朝ご飯にするか、レン」
「…………」
人語ではなく、声そのものを発することのできないレンは首を縦に振ることで賛同の意を示す
レンは普通の猫ではなく夢魔と呼ばれる魔者の一種
とはいえ、人間に害悪を与えるような存在ではない
昔、とあるヴァンパイアを通じて親交の意を示すために俺に贈られたのがレンだ
もともとはそのヴァンパイアも預かっていたらしいが、放蕩している性格なのでけっこう困っていたというのが真相
まぁ、俺としては生活のパートナーをもらえたようなものだったし、感謝しまくりなんだけどさ
「いただきます」
食パンにバターを塗っただけの手抜き朝食
けれどそれも仕方がないというもの
俺は料理ができないのだから
レンにはミルクを注いだ皿を差し出してある
机の上に乗ってペロペロとミルクを舐める姿は見慣れても、愛らしさは失われない
「午後4時、ねぇ」
時計を見てもまだ7時を回ったところ
時間はまだまだたっぷりあるというのに、その間にするべきことが何もない
防寒着はこの街についた時に即、買いにいった
寒さを苦手とする俺としては死活問題だったし
街も“もしも”の時を想定して地理を掴むために最低限度は見回りを済ませてある
路銀は既に乏しくなりつつあるので、無駄にどこかで浪費するのも得策ではないし、予定はもちろんない
かと言って何もしないで部屋にいるのも……
「レン。御飯を食べ終わったら出かけるぞ」
「?」
とりあえずやりたいこと、というよりやっておいた方がいいことを思いついた
思案に明け暮れた俺の突然の言葉にレンはミルクを舐める舌を止め、僅かに小首を傾げる
しかし主である俺の言葉に従うように、わかったと軽く顎を引いた
一見素っ気無く見えるが、別にレンにとっては普通なので気にはならない
その程度を気にするほど俺とレンの仲は浅くないし、また付き合ってきた時間も短くはない
「さて、と。それじゃお出かけの準備をするとしますか」
*
「…………」
「…………」
既に見慣れつつある路を俺は歩く
それこそ感情がないような無表情で、そして静かにまだ不慣れな雪を踏みしめながら
しかし、その俺に注がれる視線は減る気配を見せてはくれなかった
けれど、視線そのものにはもう慣れている
白い長い髪は三編みにして後ろに下ろし、防寒用として肩から膝まで覆う茶色のマントを着ている俺は女性にしか見えない
それも自分で自負するのもあれなのだが、美女にしか見えないとの話だ
少なくとも男らしい、などといった感想をくれる人はいないだろう
「……はぁ」
小さく、そして周りの誰にも気づかれない程度に溜め息をこぼしてしまう
寧ろ零さずにはいられない
俺の肩に乗っているレンにはさすがに気づかれてしまい、心配そうに俺の頬に顔をこすり付けてきた
その優しさがたまらなくて、そして温かくて思わず心が軽くなる
「サンキュ、レン」
「♪」
お礼に頬を合わせたまま喉元を撫でてやる
さすがに声は出ないが、レンの顔が柔和な笑みを浮かべた
本当に俺の心を支えてくれる存在であり、俺の傍にいて当たり前の存在
故郷を離れ、一人でこんな場所にいては俺の心はここまで安らがないだろう
レンという家族がいるからこそ、俺はこうして慣れぬ土地で頑張れる
そのことを忘れてはいけない
「お、あった」
人並みも徐々に数を減らしてきた通りの先にようやく目当ての看板を見つけることができた
『ギルド』
そう刻まれた看板が掲げられているのは石造りの三階建てという近代的な建物だった
玄関を前にして思わず呆然と見上げてしまう
隣の二階建てや平屋とはわけが違う大きさにして迫力――というか、静かなる佇まい
石造りという点と、雪の中に浮かび上がる巨大さがなんとも近寄り難い堅いイメージを抱かせる
けれど、驚きと感心という点については底無しだった
ギルドとは世界規模で展開されている超有名な企業の名前
正式名称は確か……ギルディアン・カフェード、だったはず
元は酒場のような喫茶店のような店だったところに冒険者が溜まりだし、情報の仕入れ、交換などが発展して仕事斡旋所になったらしい
それを百数十年の歳月をかけて世界規模に発展させた大企業
今では冒険者をはじめ、傭兵達には欠かせない存在となってしまっている
「とりあえず…入ろ」
寒さに耐えかねて中に入った俺だったが、中の異様な光景に思わず唖然としてしまう
まず目に入ったのはどこぞの高級ホテルのような赤いふさふさの絨毯の床
正面のカウンターを含め、内装には一切の穢れはなく、白い壁に光沢のある重厚な木材が味を出している
正面のカウンターは三人の窓口が用意されており、それぞれ担当が分かれているようだった
カウンターの左右に広がるのは二階、三階へと繋がっていく階段
ここは吹き抜けとなっているのか、見上げれば高い高い天井が遠くに見える
その視界を遮ろうとするのは美しいガラス細工で造られた魔灯の光だった
「マジ、すご……」
言葉を失うとはこのことか
凄過ぎてなんと表現すればいいのかわからない
場違いなまでの高級感溢れる雰囲気なのだが、それを唯一堕落させるのは傭兵達の姿だった
冒険者達はまだホテルに泊まる客に見えないこともない恰好だが、傭兵はさすがに武骨な鎧姿が多い
まぁ、入るところ間違えた、なんてオチではないことだけはそれで証明されたわけだが
立ち止まっているのも邪魔なので、とりあえず賞金首の手配書が張り出されている掲示板へと足を運ぶ
「これもデカイ」
掲示板は壁に備え付けられており、そこには数人の人だかりができている
けれど、その最後尾についたとしても掲示板はよく見えた
なにしろ掲示板の大きさが半端じゃない
巨大テーブルの面を起こしたような広さは二十人ほど群がってもまだ見えるくらいの大きさだった
綺麗な紙に綺麗な字、そして見やすいまでの綺麗な張り方にはここのギルドのレベルの高さを窺える
余程この支部を任されている人物が聡明なのか、部下が優秀すぎるのか……いずれにせよ、好感度は抜群にあがったな
「………………ふむ」
じっくりと賞金を懸けられた手配書を拝見していく
悪人の分類とも呼ぶべきところにはまぁ、さほど大した奴はいなかった
もちろん、世界向けの範囲の広い大型な人物は抜かして、だけど
地方のレベルで見てもまだ他の地方に比べればマシな額の奴が多い
国内ともなるとさすがに額が一気に縮小していた
治安レベルが高い国と噂され、聞き及んでいただけのことはあると納得できる
少なくともここ数日滞在して、街の雰囲気よくわかっていた
それを含めての納得だ
「……これは、少し考えた方がいいかもなぁ」
視線は既に悪人の分類から魔者の分類へと移動している
悪人と違いこちらはさすがに額の高い奴が国内や地方レベルで存在していた
緊急的な様相を感じるのは一枚もないが、人々が苦しめられていることには変わりない
退治しよう、なんてまだはいかずとも折檻や話し合いの一つはしたいところだ
そういう地道な努力をするのも俺の努めの一つだし
「ん? あ、レンっ」
いきなり肩に乗っていたレンが飛び降り、人ごみの足下を駆け抜けていく
追おうにも終えない状況となり、声を挙げた俺に周囲の視線が注がれる
聞こえるのは感嘆の溜め息や、それに混ざる独り言のような俺に対する感想
……せっかく目立ってなかったのに
自分の間抜けさに虚しさを覚えつつ、俺は視線から逃れるように別の掲示板の方へと向かう
こちらは仕事斡旋所本来の仕事である仕事の斡旋先についての張り紙がしてある掲示板だ
もちろん、大っぴらに募集できるもののみがここに張られているだけ
なので半分くらいしか公表されてはいない程度なのだが、凄い数の依頼が張られている
でかい国のでかい街なだけにこういうところは半端ない量があるよな
「あ。おかえり、レン」
マントを引かれたために足下を見ればレンが戻って来ていた
俺はしゃがみ込み、腕を差し出すとレンは軽い身のこなしで定位置である肩へと登る
そしてずっと気になっているのだが、口にくわえている紙切れを俺の方へと差し出した
「なになに? ……おぉ。でかしたぞ、レン」
「♪〜」
俺は差し出された紙切れを見るとそこには賞金首の一覧表が記載されているものだった
このギルドでのサービスの一つだろうが、これがあるだけでけっこう助かる
おそらく先程の掲示板の下にあったんだろう
人垣で俺は見えなかったが、レンは何かに気づいた、ってわけか
俺はレンの戦果を認めるべく、優しくレンの頭を撫でてやる
嬉しそうにじゃれついてくるレンを見れば俺の方も嬉しくなってくるというものだ
「よし。それじゃ二階にいって時間でも潰すか」
店内に入った時、店内の案内板があったのを俺は見ていた
一階は受付を含めた掲示板などの依頼斡旋所の一般業務を執り行う場所
二階は軽めのレストラン――喫茶店レベルかもしれない――があり、時間を潰したり雑談をするには持って来いの場所
そして三階は関係者以外立ち入り禁止の業務部屋
俺がわかっているのは三階には大っぴらに出来ない商談や依頼斡旋の話が行われる場所がある、ってことぐらいか
他にもなにかあるだろうけれど、ギルドで働いたことはないのでそこまではわからない
「人波は……まぁまぁか」
二階に上がれば広い空間に幾つものテーブルが並び、奥にはカウンターがあった
忙しなく動くウエイトレスのお嬢さん方もまぁ、休む暇無し、というレベルでもない
込み具合も程ほどであり、テーブルも半分以上は空いていた
俺は手近なテーブルに座り、肩に乗っていたレンはテーブルの上に飛び移る
「機会を見て、何人かと接触とった方がいいよな」
テーブルの上に広げたのは先程レンが持ってきてくれた一覧表
平和を望む魔者達が安全に暮らせる土地をつくる
それが俺の為すべきことであり、為さなければならないこと
そのためには少なからず、防衛のためと切り拓くための力が必要
今までは南方を中心に活動していたのでカノンのような北方は範囲外だった
ここらにいる魔者が何を望んでいるのか、そのあたりも探っていかねばならないだろう
不遇の目に遇っているようなら助けたいし……まぁ、その逆も然り、だけど
「いらっしゃいませ。ご注文の方はお決まりでしょ…うか……」
新しく座る客のところへ自ら注文をとりにくるとは、中々デキた店だな
そう感心しつつ後方から現れたウエイトレスを見ると、あちらの顔が驚きに固まる
そう、間違いなく俺の顔を見て
本当なら失礼だな、とでも思うところだろうがもう慣れた
とりあえず彼女の反応は無視して俺は言葉を綴る
「コーヒーと、猫が飲めるミルクを一つお願いします」
「っぁ。は、はい! すぐに!!」
自分が自失していることに俺の声で気づいたのか、大声の返事を残して彼女は走るように去っていた
まぁ、別にいいんだけど
ちなみに今の声は女性っぽい高めの声を出している
幼い頃からの必須要素である女性らしさ、を見せるために身につけた技能の一つだ
まぁ、声帯が元々女性っぽいってのもあるからなんだけどな
とりあえず一見では女性に見えるので一々驚かれるのも面倒だから一期一会のような相手では女性で通すようにしている
その方がなにかと得な場面もあるし
「時間は……まだ12時前、か」
戻る?